サラミスの海戦!アテナイの海軍国家としての転換点

テルモピュライでのスパルタ兵300の玉砕は美談として後世にまで伝わっているが、戦闘としてならばギリシア側の敗北である。この敗戦をきっかけにペルシア側に着くポリスが目立ち始めたのである。

 

アテナイ放棄

ペルシア軍接近の報を聞いたテミストクレスは強大なペルシア陸軍からアテナイを守り切ることはできないと判断した。

 

アテナイが港として使っていたピレウスという港町から2キロのところにサラミス島という島が浮かんでいる。

 

現代ではサラミナ島と呼ばれ3万人ほどの人が住んでいる島だが、テミストクレスアテナイを放棄し、全住民をそこに避難させると決めたのである。

 

しかし、一部の人たちはテミストクレスの説得を聞かず、アクロポリスに籠城した。

 

アテナイに到着したペルシア軍は無人アテナイ市街を占領。アクロポリスもペルシアの大軍を前になす術もなく陥落した。

 

サラミス島からは燃え盛るアテナイから上がる煙がよく見えただろう。それを見たアテナイの人たちの心にはペルシアへの復讐心が湧き上がってきたに違いない。

 

テミストクレスの策略

テミストクレスの要望でサラミス島に集まったギリシア艦隊は主戦場をどこに置くか会議を開いた。

 

テルモピュライの防衛線を突破されたことによりギリシア本土は放棄せざるを得なくなった。会議ではイストモスというギリシア本土とペロポネソス半島を繋ぐ要所を主戦場とすることになった。

 

しかし、テミストクレスはペルシアを撃退するのは陸戦ではなく海戦だと確信していた。総司令官のエウリュビアデスのもとに行き、再度会議を開くことを求めた。

 

再び開かれた会議でテミストクレスサラミスで海戦を行うことを主張した。テミストクレスに反対してアテナイ艦隊に離脱されることを恐れたエウリュビアデスは賛成したが、他のポリスの代表者たちはこれに反対した。

 

ギリシア艦隊380にのうち180隻はアテナイの艦隊だったのである。アテナイの艦隊に抜けられるのは得策とは言えなかった。

 

しかし、コリントスの代表を中心に反対するポリスは多く会議は完全に二分した。そこでテミストクレスは一計を案じた。

 

ペルシア軍に使者を送り、ギリシア軍がイストモスに撤退することを伝えたのである。これにはペルシア艦隊を動かすことで無理やりにでもサラミスで決戦させることの他に、もし負けた場合にペルシアに恩を売ることで保身を図るという意味もあった。

 

テミストクレスという人物は決して清廉潔白な人物ではなかった。票を買うことだってしたし、人を騙すことだって平気にした。アテナイの艦隊も本来市民に分配されるはずの金を注ぎ込み作ったのである。

 

このようにして敵味方双方を操ってサラミスで決戦されるように仕向けたテミストクレスの策略は、成功しつつあった。

 

テミストクレスの内通を信じたペルシア艦隊はギリシア本土とサラミスの間を封鎖し、エジプトの艦隊はサラミス島の外側を包囲した。

 

サラミスの海戦

紀元前480年9月20日、ペルシアと決戦すべくギリシア艦隊は一斉に出撃した。ギリシア艦隊はアテナイ船180隻を中心とする380隻であり、ペルシア艦隊はフェニキア船など計684隻だった。

 

大砲のなかった古代の海戦は船の先についた衝角というものを敵船に突き立てたり、敵船に乗り移って白兵戦を繰り広げるといったものだった。

 

 

サラミス島周辺には一定の時刻になるとシロッコという風が吹く。そしてペルシア船は兵を多く乗せるために高く造られている。重心が高い船は風の影響をもろに受けるという欠点がある。テミストクレスはそこに目をつけたのである。

 

サラミスを出撃したギリシア艦隊はペルシア船を前に反転し、逃げるようにサラミス島へ戻って行った。

 

ペルシア船はそれを追いかけて行ったが突如シロッコが吹いたのである。強風をもろに受け立ち往生しているペルシア艦隊に再度反転したギリシア艦隊が突っ込んでいったのである。

 

衝角を突き立てられたペルシア船は次々と沈んでいき、戦列は乱れた。ペルシア軍の損害は詳しくはわからないが壊滅したというほどではないようである。

 

しかし、ペルシア艦隊が壊滅するより前にクセルクセスの心が折れたのである。サラミスを臨む小高い丘から観戦していたクセルクセスは敵を大きく上回る戦力を持ち、勝利を確信していたのである。

 

その彼の前でギリシア船に突撃され、次々とペルシア船が沈んでいく光景はクセルクセスの戦意を喪失させるのに十分だった。

 

マルドニオスに陸軍を預けたクセルクセスはペルシア艦隊を引き連れペルシアに帰ってしまった。

 

これによりギリシアの防衛というギリシア軍の目的は達成されたのである。

その後

サラミスでの戦勝によってアテナイは海軍国としての地位を確かなものにしていく。軍船の漕ぎ手として従軍した下層市民の地位も高まり、民主制国家としても地位を確立していく。

 

第二次ペルシア戦争は海戦での勝利によって大きくギリシア優勢になったがそれを決定的にするのはスパルタを中心とした後のプラタイアの戦いである。