イデア論とは?ソクラテスの弟子筆頭、プラトンを解説!

数多くのソクラテスの弟子の中で最も有名な人物はプラトンであろう。ソクラテスは著作を残さなかったため、ソクラテスの言行を知るためにプラトンの著作は欠かせないのである。今回は哲学者としても文筆家としても高名なプラトンについて探ってみたいと思う。

 

プラトンとはどのような人物か

プラトンは紀元前427年にアテナイの名門貴族の家系に生まれた。はじめはアリストクレスと名付けられたが体格が大きかったため「広い」を意味する「プラトンというあだ名をつけられた。古代ではあだ名がそのまま名前になることは多く、古代ローマの将軍カエサルフェニキア語で象という意味だし、カエサルを暗殺したブルータスは馬鹿者という意味である。

 

プラトン」というあだ名をつけられるだけあって、青年期はレスリングなどの格闘技をしていたようである。他にも貴族に生まれた者の責務である政治家を志していた。当時はアテナイ最高の政治家、ペリクレスの黄金時代であり、アテナイは繁栄を極めていた。

 

しかし、遂にスパルタ率いるペロポネソス同盟との対立が火を噴き、戦争へと突入する。戦争中にペリクレスが死に、シチリア遠征も失敗。そして、アテナイの誇りであった海軍が陸軍国家スパルタに敗れ、ペロポネソス戦争はスパルタの勝利に終わる。戦争に敗れたアテナイの政治は混乱を極める。そして、プラトンの思想に大きな影響を与えた、ソクラテス裁判が起きる。

 

ソクラテス裁判とプラトン

ソクラテス裁判の詳細はこちらの記事を見ていただきたい

tetsuburoger.hatenablog.com

ソクラテス裁判は民主制の欠陥がもろに出た結果となった。戦争に負け、経済も混乱する中、民衆は一人毅然としているソクラテスに我慢ならなかったのである。その結果ソクラテスは死刑となり、脱走の勧めを断り毒をあおって死ぬ。

 

プラトンはこれを見て絶望するのである。民衆を扇動し、自らの利益しか追求しない政治家や何も考えずに目先の欲望を満たすことしかしない民衆を幻滅したのである。そして、彼は政治家の道を諦めた。

 

シチリア旅行とアカデメイア開設

彼が39歳の頃、イタリアやシチリア島、エジプトを旅してピュタゴラス派などの哲学者と交流している。

 

その旅から帰ってきた後、彼は「アカデミー」の語源となるアカデメイアを開設するのである。アカデメイアとは土地の名前で彼がそこに自らの土地を持っていたことに由来する。

 

アカデメイアでは哲学だけでなく、天文学や数学なども教えられ教師と生徒の問答が重視された。

 

プラトンが60歳の頃にのちにマケドニアアレクサンドロス大王の家庭教師となるアリストテレスアカデメイアに通うようになる。

 

シチリア旅行と哲人政治

彼は祖国アテナイの政治の混迷から哲学者こそが政治をするべきだという考えに至った。現在のアテナイを支配している政治家たちは己の利益しか考えない。しかし、哲学者ならば私益を考えずに統治できると考えたからである。

 

紀元前367年シチリアの強国シラクサの僭主ディオニュシオス2世の親戚ディオンから頼まれ、プラトンシラクサへ向かう。彼はディオニュシオス2世を指導し、哲人政治を実現させようとするが、ディオンが追放されてしまい失敗に終わる。

 

紀元前361年今度はディオニュシオス2世から頼まれ、3回目のシチリア旅行へと向かった。しかし、プラトン自身が軟禁されてしまい、友人の助けを借りてなんとかアテナイまで帰るという始末でまたしても哲人政治実現は失敗に終わるのである。

 

最終的にディオンが暗殺されたことにより彼は哲人政治実現を諦め、晩年アカデメイアでの教育に力を注いで80歳で息を引き取る。

 

イデア論

彼の思想で最も有名なのがこのイデア論であろう。イデア論とは物質、非物質であろうと物事にはイデアと呼ばれる完璧な状態がある。しかし、我々は不完全な存在であるためイデアを見ることができないという考え方である。

 

私たちが生まれる前、まだ神と同一の状態の魂だった頃にイデアを見ている。だから、現世でものを見ると魂だった頃の記憶が思い出されるのである。

 

プラトンの考える哲学をとは、魂だった頃の記憶を数学や幾何学などを用いて思い出そうとするものである。

 

彼は、イデアに近づこうとすることこそ人間が善く生きる道であると考えた。イデア論とは完璧なものなど存在しないから人は何をしても無駄であると言っているのではない。完璧になれなくても完璧に近づこうとすることに意味があると言っているのである。

 

まとめ

プラトンの思想の形成にソクラテスの処刑が大きく関わっているのは明らかである。芸術は負の感情から発生すると言うが、哲学も同じなのかもしれない。

 

プラトンは哲学者としてだけでなく、文筆家としても一級である。ソクラテスの弁明などは難解で私には理解できなかったが、饗宴は間違いなく面白い。特に酔っ払ったアルキビアデスが乱入してくるところは、人間は古代ギリシアの時代から様々な進歩を遂げてきたが、酔っ払いのタチの悪さについては、2000年間何も進歩していないのかと言うことを気づかせてくれる。